皆様~~!1週間のご無沙汰でした。金曜日のブログ男じぇ~~~ムス相原デス。本日は冬晴れでも乾燥してて、気温は低いですね~~。が、しか~~し!
ZIP大宮校の中は快適です。半袖の方もいらっしゃいますよ。新しい期も始まりましたので、まだお越しでないお客様。是非お越し下さい。
スタッフ一同お待ちしております。
先週お知らせした日帰り温泉施設、「嬬恋高原温泉 つつじの湯」から、、嬬恋村のいとこの経営する旅館(とちぎ屋旅館)の目の前の道(長野街道国道144号線)
をそのまんままっすぐ進みます。そこから県道94号線に曲がり,のんびりとした田舎道を行くと
1軒宿の鹿沢温泉でありんす。名前の由来はこの後言いますが、まずこの話から・・・
歴史の話をしますが子供の頃、学校の教科書やみんなの歌などで聞いた事あると思いますが「雪山賛歌」って来た事ありますよね・・・・
「ダークダックス」と言うグループが紅白歌合戦で歌いました。(かなり昔)
それがこの場所で作詞されたのです。覚えてない方のために・・・・
雪山賛歌
【訳詞】西堀 栄三郎・(社)京都大学学士山岳会
【作曲】アメリカ民謡
1.雪よ岩よ われ等が宿り
俺たちゃ 街には
住めないからに
~2・3・4・5・6・7・8番カットします。
9.山よさよなら ご機嫌宜しゅう
また来る時にも
笑っておくれ
思い出しましたか?鹿沢温泉は雪山賛歌の発祥の地なんです。当時京大山岳部の学生であった、南極越冬隊初代隊長の西堀栄三郎氏が、冬場雪によって旅館に足止めをされた際に、退屈しのぎに作成したといわれています。
鹿沢温泉は650年(奈良時代?大化の改新?頃の発見とも言われていますがわかりません。開湯伝説は元禄年間に、鹿が傷を癒している所を発見したとされており、温泉名もこれに因んでいる。
江戸時代は、鹿沢温泉周辺の一帯が、祢津領(旗本松平氏、現在の長野県東御市祢津)の領地でした。
明治四十四年の浴客数は、男性三千人、女性二千人、の計五千人。大正時代には客数も増え、十二年ごろには男性約七千六百人、女性約五千六百人。このように湯治場として発展していったのですが、大正七年の火事で温泉街は壊滅。その後引湯管を整備して
鹿沢温泉は標高1500mの高所にあり、旅館は一軒を残して現在の新鹿沢温泉(標高1300m)の場所にあり、そこに移転しました。
新鹿沢温泉は、鹿沢温泉からの引湯で、旅館やホテルが多数あります。また周辺には鹿沢スノーエリアなどのスキー場があります
一軒宿の紅葉館
紅葉館は明治2年(1869年)の創業。
鹿沢温泉は日本で最も古い温泉の一つです。以下は、信州加沢郷薬湯縁起からの一節です。
「孝徳天皇、白薙元(650)年に、里人、信州の加沢というところの山峯より、光明さすをあやしみ、そこの煙にしたがい来てみると、熱湯が地より湧出を見る。さらに聞えけるは『われ東方薬師如来なり、されば一切衆生老病死の四苦あり、其の苦しみをたすけ、寿命長穏の薬をあたへ、現世の身心をやすらかにせしめ、困苦をすくい処に至らしめんために、薬師の号を得たり』」
そんな1軒屋がこちらデス。
お湯は適温、少し白濁しています。
泉質 マグネシウム・ナトリウム炭酸水素塩温泉(中性低張性高温泉)、
源泉の温度は44.5度です。
成分総計1.39g/kg
湧出量37L/分(自然湧出)
また一つ行きたい温が皆様に増えてしましましたね・・・・・
詳しいことは、紅葉館HPまで・・・http://kazawa.jpn.org/
来週はここから湯を引いている「新鹿沢温泉」についてお知らせします。
それではまた来週まで「レッツビ~~ぽじてぃぶぅ~~」
明日は研郎ヘッドゥ~~。