皆様~~!1週間のご無沙汰でした。金曜日のブログ男じぇ~~~ムス相原デス。
晴れて日差しがまぶしいですね。。。が、しか~~し!
ZIP大宮校の中は快適です。半袖の方もいらっしゃいますよ。
まだお越しでないお客様。御気軽にお越し下さい。スタッフ一同お待ちしております。
つい2週間前より「お前はまだグンマを知らない」と言う漫画があったのですが、ついに実写になりTV(日本テレビ)で放送されました。
さて本題デス。先週、大御所「万座温泉」が登場し、ご覧頂いているお客様より、かなりの反響頂きありがとうございました。
今回は、吾妻地区の時に忘れていた中之条の近くにある、「沢渡温泉」です。もどります。すみません
JR中之条駅から、バス・車で25分ぐらいです。さいたまからですと、JR高崎線と高崎からJR吾妻線で到着
先週お知らせした特急草津ももちろんつきます。
長野原草津口の手前です。「四万・沢渡温泉口」という副駅名もついてます。
泉質
カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉
・源泉温度55℃
遺跡調査では縄文時代には既に温泉が湧出していたとも言われていますが、沢渡温泉の発見は建久2年(1191年)とも言われています。
源頼朝が征夷大将軍となったのち、建久4年に富士の裾野で大規模な巻狩りをしたことはよく知られています。
建久2年に浅間山麓で小手調べの射狩りを催した際、三原の本陣からの帰途草津温泉に入浴し、その後当温泉に入浴したと言われています。。
以前ご紹介した、近隣の温泉地同様、源頼朝が入浴したとの伝説です。たびたび、この方は出てきますね・・・
江戸時代には湯治場としても賑わい、高野長英、福田宗禎らも当地に立ち寄ったと言われています。
大正時代にも若山牧水が当地を訪れるなど、多くの文人らが訪問しています。
1945年(昭和20年)の火災で温泉街は壊滅したのですが、その14年後の1959年(昭和34年)に再び温泉地として復興して現在の温泉街になっています。
宿泊施設は11箇所あり、今日お知らせするのは2か所。その1つは、この地図を作っている「龍鳴館」(若山牧水ゆかりの旅館)です。
大浴場には、源頼朝公が入泉の際に腰さけたと言い伝えられている「腰かけ石」があります。
若山牧水 「みなかみ紀行」より
「昨日の通りに路を急いでやがてひろびろとした枯芒の原、立枯の楢の打続いた暮坂峠の大きな沢に出た。峠を越えて約三里、正午近く沢渡温泉に着き、正栄館といふのゝ三階に上った。此処は珍しくも雙(双)方に窪地を持った様な、小高い峠に湯が湧いてゐるのであつた。無色無臭、温度もよく、いい湯であった。」
~大正11(1922)年10月20日 牧水は暮坂峠を越え、沢渡温泉・正栄館で昼食をとり、四万温泉に向かいました。~
「正栄館」は龍鳴館の前身だそうです。
肌に対する効能が高く、その美肌効果は「一浴玉の肌」と言われています。また、草津温泉での強酸性の湯治で荒れた肌を治す「草津温泉の仕上げ湯」としても知られており、優しいおゆです。多少硫黄のにおいはします。
http://ryumeikan.sakura.ne.jp/詳しくはHPでどうぞ。
もう一つは、湯元の隣の「まるほん旅館」です。
http://www.sawatari.jp/ まるほん旅館HP
すぐ隣には共同浴場があり、日帰り入浴施設が併設されており、なんと300円・・・やすい~~~是非、行ってみてください。
また、沢渡温泉には、群馬県医師会温泉研究所附属沢渡病院があり、患者に温泉の効能や環境を利用したリハビリテーションが行われています。
以前、私は以前、膝の手術をしましたが、リハビリを沢渡温泉か、水上温泉かでリハビリする病院を迷いましたが、水上温泉に行ってリハビリしました。(トレーナーの関係で)
こんなのどかなところに、素晴らしい温泉がありますので、ぜひお近くにお越しの際はお立ち寄りください。
それではまた来週まで「レッツビ~~ぽじてぃぶぅ~~」
明日は研郎ヘッドゥ~~。