グンマ~~帝国では、からっ風の季節がやって来ました。
あっっと言う間にもう師走・・・(´;ω;`)ウゥゥ
夜が、一気に寒くなりましたね~~!
以前、「2016年9月太古のロマン」で太田天神山古墳の事についてブログを書きましたが、
このたび、新たなニュースを知りましたのでお知らせします。
http://ziptennis.jp/wp-admin/post.php?post=1653&action=edit ☚ 以前のブログ
興味ない方は、「なんだ~~?」と思われるし、「古墳なら、行田にサキタマ古墳群があるよ~~」古代ハスもあるし~~
と、お思いでしょうが、最後までお付き合いください。
その中で最大な大きさなのは前回もお話しました、ここです。
太田天神山古墳は、5世紀前半(古墳時代中期)に造(つく)られた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。
墳丘(ふんきゅう)の全長は210メートルで、これは全国で第26位の大きさです。
当時の政権(せいけん)の中心だった奈良(なら)県・大阪(おおさか)府を除(のぞ)くと第3位で、
東日本では堂々の第1位です。
被葬者は畿内大和政権と強いつながりを持っつていた毛野国の大首長と考えられています。
お墓の形が、畿内のと同じ形をしているからです。
高崎市保渡田町・井出(いで)町にある、5世紀後半~6世紀初め(古墳時代中期~後期初め)に造(つく)られた古墳群で、
全長108メートルの井出二子山(いでふたごやま)古墳、
全長96メートルの保渡田八幡塚(ほどたはちまんづか)古墳、
全長105メートルの保渡田薬師塚(ほどたやくしづか)古墳の3基(き)からなっています。
この時代に、墳丘(ふんきゅう)100メートル前後の古墳が近接(きんせつ)して3基も築(きず)かれた例は、
東日本では保渡田古墳群しか見当たりません。
保渡田八幡塚古墳は、現在古墳が造られた当時の状態(じょうたい)に復元(ふくげん)されています。
大型の古墳が復元されているのは全国的にもたいへん珍(めずら)しい例です。
と、ここまでは、前回と一緒・・・(*´▽`*)
ここからです。
実は
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もちろん私のiPhoneにも入ってます。